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Gainsight Pulse2022 現地レポート②

前回までのレポート:
Gainsight Pulse2022 現地レポート①

こんにちは、萩原です。Pulse2022現地レポート2本目の投稿となる本稿では、第1回でお伝えしたとおり、イベントを通じてカスタマーサクセスにおける重要な概念として強調されていた Value Delivery について深掘りしたいと思います。Value については、多くのブレイクアウトセッションでも触れられていましたが、なんと言っても初日のキーノートに登場した大御所 ジェフリー・ムーア氏による講演が白眉でした。日本からの参加者も口を揃えて「あれはすごかった」と絶賛する内容で、さすがとしか言いようがありません。

ところで、皆さん、ジェフリー・ムーアさんはご存じでしょうか?内容に入る前に、念のため簡単にご紹介しておきましょう。ムーアといっても「ムーアの法則(半導体の密度が1.5~2年で2倍になる)」の方ではありませんよ。あちらはゴードン・ムーアさん。こちらはジェフリーさんで、ハイテク製品のマーケティングを体系化したキャズム理論で有名な方です。アーリーアダプターとアーリーマジョリティの間には大きな溝(キャズム)があり、これを超えるには特別な対策が必要なことをフレームワークとして提示しました。みなさんも一度は以下のような図を見たり使ったりしたことがあると思います。

(図は東大IPCより)

なお、余談ですが、この普及カーブやイノベーターからラガードというカテゴリー名を作ったのはムーアさんではなく、エベレット・ロジャーズというイノベーション普及研究の権威でして、彼によればカテゴリー間にキャズム(不連続な溝)は存在しないそうです(気になる方は『キャズム』とともに『イノベーションの普及』もぜひお読みください)。

それでも、このキャズム理論で説明できる事例は数多く、またキャズムを越えるための方法は多くのテックマーケターに支持されてきました。キャズム理論は「ハイテクマーケティング」向けとされていますが、私としては特にB2B分野のテクノロジーマーケティングで参考になる点が多いと感じており、今回の講演も、SaaSやデジタルを活用した新規事業に携わる読者の方にとって有益な内容が盛りだくさんでした。以下では、ジェフリー・ムーア氏の講演「カスタマーサクセスの進化~過去、現在、未来~」を全文書き起こし形式でご紹介します。まずは、前半部分の「いまなぜカスタマーサクセスにおいて Value Delivery が重視されているのか」について、その後、カスタマーサクセス成熟度モデルとカスタマーサクセスの未来に影響を与えるソフトウェア優先のプロダクト開発へと続きます。それぞれ私(萩原)から、日本の皆さんへの解説を補足する形でお届けします。

エンタープライズITの歴史 は価値提供(Value Delivery)の歴史

これまでの伝統的な価値提供システム(Value Delivery System)はプロダクトを中心にしていて、プロダクトが成功の鍵だった。それが今や、顧客を中心にさかのぼる形に変わっている。かつてないほどに、プロダクトと顧客は結びついており、未来はこの方向にある。

以下の図は、伝統的な価値提供のモデルを示している。左から右へ、製品供給から顧客需要へという流れだった。ここで、カスタマーサクセスの歴史を考えると、最初は「プロダクトサクセス」から始まったと言える。特に、ERPの動向がわかりやすい。標準化されたプロセスにより在庫管理と品質管理を行いつつ、労働集約的な作業を低賃金の発展途上国にアウトソーシングするグローバル化が推進され、企業はグローバルエコノミーのメリットを享受するようになった(筆者注:日本では「グローバルスタンダード」という言葉が流行した)。この頃、カスタマーサクセスにもっとも近しいものと言えば、テクニカルサポートであった。まずはプロダクトが顧客のところで動くようにしなくてはならなかった。

やがて、顧客との関係の重要性が高まるにつれ、企業は気づく。激しい競争の中でプロダクトが成功するためには、顧客とやり取りしているチームがもっとうまく機能しなければならないと。そこでCRMが登場し、ここから顧客関係のデジタル化がはじまる。

CRMの登場により営業生産性分野が成熟し、売上予測、パイプライン、アカウントマネジメントの手法が確立すると、すぐに企業は次の段階へ進む。パイプライン生成のためにはマーケティングが重要だとなり、マーケティング機能がCRMへ取り込まれるように。かつてはオンプレで運用されるSiebelが主役だったが、Salesforce.comが取って代わり、SaaSモデルがスタンダードになった。拡張性、信頼性、サポート性において、SaaSが優れていることが証明され、ERPとCRMで攻守交代が生じたのだ。

SaaSモデルの登場によって、オンプレミス時代のベンダーロックインという概念から離れ、ここではじめて Net Revenue Retention(売上継続率)や Churn(解約率)が重要な指標として認識されるようになった。同時に、カスタマーサクセスが生まれ、顧客から電話を受けて対応するテクニカルサポートから一歩踏み込み、顧客のヘルススコアをもとに積極的な対応をおこなう役割を担うようになった。ただし、当初は今よりも狭い範囲を対象としており、あくまでも一部門の役割として、「アダプション(製品利用の定着率)」(筆者注:エンドユーザーが利用しているか、契約は継続されそうか)にフォーカスした活動であった。

やがて、経験を積むにつれ、SaaS企業は気づきはじめる。顧客が抱えている課題の多くは、「オンボーディング(導入)」フェーズにあり、いまのような顧客との関係性では解決できない。なぜなら、そのフェーズはパートナー企業(筆者注:コンサルティングを含むSIer)が担っており、稼働時間による課金という彼らのビジネスモデルは、顧客生涯価値(LTV)の最大化を目指す自社のカスタマーサクセスモデルと乖離があるから。このままでは、確実に顧客が成果を出せるかどうかわからない、担保できない。そこで、カスタマーサクセスがプロフェッショナルサービスの要素を包含し、オンボーディングフェーズもカバーするようになっていった。これは決してパートナー企業の代替を目指すものではないが、確実にベストプラクティスを適用し、カスタマージャーニーの早い段階でサクセスが実現できることを目指す動きである。

そして、直近の流れであり、また経済環境が厳しくなる今後数年でさらに顕著になる傾向は、顧客が「製品が欲しいわけではない。成果が欲しいのだ」と考えるようになったことである。ドリルを買いにきた人が欲しいのは、ドリルではなく「穴」である、というわけだ。

さて、皆さんの企業は成果を提供しているだろうか。仮に提供しているとして、だれが成果に対して対価を払っているのだろうか?たいていの場合、それはエンドユーザーではない。上位階層の購入権限者である。エンドユーザーへのハイタッチ活動をベースに生まれてきたカスタマーサクセスだが、その役割・組織にいま求められていることは、顧客の成果を実現することにまで拡大しつつある。私たちの顧客は、ビジネス上の成果を得ているだろうか。それによって、私たちの製品やサービスに継続的に投資してもらえる状況をつくり出しているだろうか。

ここまで来るのは、とても長い長い歴史だったのだ。

日本の皆さんへの補足と示唆

ここまでが、ジェフリー・ムーア氏によるカスタマーサクセスの「過去」から「現在」までの振り返り(前半部分)になりますが、ここで日本の皆さんへの補足と示唆を加えたいと思います。

顧客企業の Value(価値)を考えることはCSMの必須スキル

そもそも、Valueとは何でしょうか?英語のValueには(日本語の価値という言葉にも)多様な意味がありますが、こと経営においては(またその基礎理論である経済学においては)Valueという言葉の意味は決まっており、わかりやすい言葉で言えば利益です。より厳密に言えば、Value は顧客と提供者で分かち合うものであり、顧客が受け取る余剰(Consumer Surplus、利益のようなもの)と提供企業が受け取る余剰(Producer’s surplus)を合算したものと定義されています。顧客が受け取る価値は、顧客が知覚する便益(Benefit)と支払い価格(Price)の差であり、提供企業にとっての価値は、販売価格(Price)と提供コスト(Cost)との差です。

ということは、顧客が受け取る価値を理解するためには、「顧客が知覚する便益」を知る必要があります。ところが、先ほどの Value の計算式の中で、唯一金額としてスパッと出てこないのが、この「顧客が知覚する便益」なのです。価格や提供コストはそれに比べればはるかに算出が容易です。

筆者としては、ここが大事なポイントだと思うのです。つまり、カスタマーサクセス活動を通じて顧客に Value を提供しようと思ったら、顧客企業のビジネスを知る必要があるのはもちろんのこと、顧客にとって何が便益なのかを理解することも、それを顧客に伝えることも同じように大事になってくるのです。なぜなら、放っておいたら顧客自身も知覚できない可能性があるのですから。この点について、他のセッションではこんな風に表現されていました。

identify value, deliver value, verify value, message value, and create more value

単に価値を提供(deliver)するだけでなく、顧客にとっての価値を見つけ出したり(identify)、検証したり(verify)、適切に伝える(message)ことも必要なわけです。登壇者は、顧客にとっての価値を考え出すためのコーチングを受けたとも言っていました。

こうなると、かなり深く顧客のビジネスを理解する必要があり、もはやコンサルタントに近いと言えます。カスタマーサクセス組織が成熟してくるとプロフェッショナルサービス部門が新設されたり、バリューコンサルタントという(そのものズバリな名前の)役割が新設されたりするのは、まさにこの表れでしょう。カスタマーサクセスという仕事において、今後はコンサルティングスキルが強く求められるであろうことは、Gainsight株式会社代表取締役社長の絹村さんとも意見を同じくしました。

そして、カスタマーサクセスという仕事が、コンサルティングビジネスのような進化を遂げるとすると、今後は業界の専門知識をもつ人を採用し、業界別のチームをつくっていくことが自然な流れのように思えます。実際に、セールスフォース社では、CSMを顧客の業界別に編成し、専門性を高める取り組みをしているようです(同時に、専門性を高める軸はほかにも多数あり、まだ発展途上であるとも言っていましたが)。CSMの専門性(Specialization)をどのように高めていくかは、おそらく来年以降の大きなテーマになってくると思います。

次回、ジェフリー・ムーア氏の講演「カスタマーサクセスの進化~過去、現在、未来~」後半部分に続きます。

萩原 雅裕 / Prodotto合同会社 代表

NTTデータ、ベイン・アンド・カンパニー、日本マイクロソフト、Microsoft Corporation(本社)を経て、創業メンバーとしてワークスモバイルジャパン株式会社に参画。法人向けコミュニケーションツール「LINE WORKS」の立ち上げに携わり、導入社数30万社超、ARR78億円(2021年現在)までの成長に貢献。プロダクト責任者、マーケティング責任者、カスタマーサクセス責任者、戦略担当役員などを歴任。現在は、SaaSグロース支援、B2Bマーケティング支援、経営アドバイザリーサービスを提供。
慶応義塾大学卒業、ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院(MBA)修了。
趣味は、筋トレ、キャンプ、積ん読。