2023.06.10
Gainsight Pulse 2023 現地レポート前編

NTTデータ、ベイン・アンド・カンパニー、日本マイクロソフト、Microsoft Corporation(本社)を経て、創業メンバーとしてワークスモバイルジャパン株式会社に参画。法人向けコミュニケーションツール「LINE WORKS」の立ち上げに携わり、導入社数30万社超、ARR78億円(2021年現在)までの成長に貢献。プロダクト責任者、マーケティング責任者、カスタマーサクセス責任者、戦略担当役員などを歴任。現在は、SaaSグロース支援、B2Bマーケティング支援、経営アドバイザリーサービスを提供。趣味は、筋トレ、キャンプ、積ん読。
10回目を迎えたPulse
Pulseとは、Gainsight社によるフラッグシップイベントであり、同社主催のカスタマーサクセスに関わる人のためのコミュニティイベントです。What’s Next? Building a Durable Future というテーマを掲げ、5月17−18日の2日間にわたり、例年どおりサンフランシスコのモスコーニセンターで開催されました。2013年に参加者100数十名という、こじんまりとした規模ではじまった本イベントも、今年(2023年)で10回目となり、参加者は2,000名を超えていました。10回目の節目となるPulseという場で、「カスタマーサクセス」という概念の先駆者であり、エバンジェリストであるGainsight社によって振り返られたのは、まさに「カスタマーサクセス」の歴史そのものと言えるでしょう。
10年前は、カスタマーサクセスについての情報や知見はほとんど流通しておらず、だれもが手探りだったなか、このPulseというイベントは仲間を見つけ、つながることができる貴重な場だったはずです。カスタマーサクセスという道を進むことがはたして正解なのかどうかすらわからず、とにかく信じて進むしかないという状況でした。Gainsightのユーザーインターフェースも時代を感じさせるものでした。
しかし、10年の時を経て、カスタマーサクセスの風景は大きく変わりました。今ではカスタマーサクセスに関する知見は書籍などの形で広く知られるようになり、MBAの講座にまでなっているそうです。ノウハウは体系化され、プロダクトに反映され、かつては非常に複雑かつ高額で大企業向けと考えられていたサクセスプランは、今や手頃な価格でも提供され、対象企業の裾野も広がっています。かつては、価値を実感するまで13週間かかっていたものが、今では4〜6週間にまで短縮されているといいます。






現在ではテック企業の97%がカスタマーサクセス組織を持ち、98%の企業が今年(2023年)もカスタマーサクセスへの投資を維持または増加させる予定だと回答しています。また、61%のカスタマーサクセス組織が売上向上の責任を担っており、今後3年のうちにカスタマーサクセスの収益化(マネタイズ)を計画している企業も50%にのぼるそう。そして、100億ドル以上の売上規模を持つ企業の39%はChief Customer Officerという役職を置いているそうです。



Pulseでは、多くのメッセージが発信される初日のキーノート(基調講演)、新製品や新機能が発表される2日目のキーノートに加え、2日間で72のセッションが繰り広げられました。セッションは7つのトラックに分類されており、2023年現在、カスタマーサクセス関係者の関心がどこにあるかを示していると言えます。
Stabilizing Revenue in a Downturn by Doubling Down on Retention(景気停滞時に、リテンションを深掘りすることで売上を安定させる)
Improving Profitability by Unlocking Expansion Revenue(エクスパンションを解放し、利益率を向上する)
Digital Strategies to Help You Achieve More With Less(デジタル戦略が「少ないリソースでもっと多くのことを達成」を実現させる)
Community Building Tactics That Drive Advocacy and Save Customers(アドボカシー促進と顧客維持のためのコミュニティ構築戦術)
CS Ops: Increasing Efficiency Through Operational Excellence(CS Ops:オペレーショナルエクセレンスによる効率性向上)
Human-First Leadership(ヒューマン・ファースト・リーダーシップ)
Must-Have Skills for an Impactful CSM(効果を出せるCSMに必須のスキル)
景気後退局面において、カスタマーサクセスの売上貢献は不可避
全体テーマに含まれる Durable というキーワードは昨年からの延長線上にありますが、上記7テーマの多くが売上や利益に直結していたり、言及せずとも深く関係しているところが非常に特徴的であり、今年の市場環境を物語っています。
多くの読者の皆さんがご存知のとおり、アメリカのテック業界は2022年初頭からの急激な株価下落、インフレと利上げによる景気減速の影響を大きく受けました。ビッグテック(GAFAM)だけでなく、多くの中堅IT企業でも大規模なレイオフがあったと聞いた方もいらっしゃるでしょう。カスタマーサクセスに関わる人にとって、これは何を意味しているのか。
景気後退局面では、企業は売上よりも利益を重視します。そして、良くも悪くも株式市場の影響を直接的に受けやすいアメリカ企業においては、きわめて素早くコスト削減のための手が打たれます。その中には当然、IT費用の削減も含まれます。これにより、SaaS企業の多くが解約や契約金額縮小に直面しました。これが以下のようなテーマ設定につながる背景です。
Stabilizing Revenue in a Downturn by Doubling Down on Retention(景気停滞時に、リテンションを深掘りすることで売上を安定させる)
キーノートでは、厳しい状況がデータで示されました。
2023年第一四半期のソフトウェア購買額の内訳をみると、60%が守りのIT投資だったそうです。また、なんと100%がプラットフォーム型ソリューションへの支出であり、ポイントソリューション(単機能型ソリューション)が選ばれることはなかったそうです。平たく言えば、強い者が勝ち、資金力がなく提供価値が限定的なソリューションベンダーは淘汰されている状況です。


さらに、契約更新が決まるまでの期間は、3年前と比べて22%も長期化していること(2020年平均49日→2023年60日。1,000人以上の大企業に絞ると64日)、更新契約の金額が27%も減少していること(2021年比)が示されました。この傾向はアップセル契約(エクスパンション)においても同様で、契約が決まるまでの期間は55%長期化(2020年平均29日→2023年45日。1,000人以上の大企業に絞ると58日)、金額は22%減少しているそうです(2021年比)。この数値は平均ですから、放っておけば契約までの期間はもっと長引くでしょうし、契約金額はもっと下がるか、解約されてしまう。SaaS各社はそういう環境に置かれていることを示しています。




景気後退局面といっても、売上が下がることを許容できるわけではありません。そのような環境でも成長できることを証明しなければ、さらなる淘汰が待っているわけですから。そうは言っても、景気後退時には新規顧客を獲得することの難易度が上がります。そこで、SaaS企業各社は既存顧客の契約拡大(エクスパンション)に注力したり、(自社のマーケティング・営業活動だけでなく)既存顧客からの紹介による顧客獲得を目指すことになります。その動きを反映しているのが以下のようなトラック設定だと見てとれます。
Improving Profitability by Unlocking Expansion Revenue(エクスパンションを解放し、利益率を向上する)
Community Building Tactics That Drive Advocacy and Save Customers(アドボカシー促進と顧客維持のためのコミュニティ構築戦術)
昨年のPulseでは「カスタマーサクセスはグロースエンジンなんだ」「もっと前に出よう」というトーンでしたが、今年のPulseから伝わってくるのは、もはや売上貢献、事業の中心的役割を果たすことは不可避な状況なんだ、という強いメッセージでした。これは、カスタマーサクセスがビジネスの成長にとって、ますます重要になっていることを示しています。それを象徴するように、ある企業のChief Customer Officerが「もしあなたの会社のCEOが『カスタマーサクセス組織のフォーカスは、リテンションではなくエクスパンションだ』とまだ言ってないとしたら、それは時間の問題。もうすぐあなたのところに来ますよ」と言っていたのは、非常に印象的でした。
これらの変化は、カスタマーサクセスの役割が進化し続けていることを示しています。次の段落では、その進化について詳しく見ていきましょう。
Value Realizationへの進化が加速
繰り返しになりますが、キーノートを皮切りに多くのセッションで、カスタマーサクセス組織の売上貢献組織化に関するトピックが多かったことが、今年の大きな特徴でした。売上貢献組織化が今年の特徴だと感じた理由をいくつか挙げてみます。
- カスタマーサクセス組織の位置付けは、コストセンターから売上貢献組織へ。
- 話題の中心は、リテンションからエクスパンションへ。解約防止に関する話題はほとんどない。ゴール(指標)の話をしている人もいないし、On-boardの話をしている人もあまりいない(これらはもう答えが出ているという位置付け)
- エクスパンションのオポチュニティ発掘、CSQL(カスタマーサクセス・クオリファイド・リード)の話題が活発。
- これまでは営業からカスタマーサクセスへの引き継ぎの話が多かったが、CSQLをカスタマーサクセスから営業へ引き継ぐ話が増えている。
- プロフェッショナルサービスのマネタイズに関する話題も増えている(31%の企業がすでにマネタイズしている)。
- CSMへのインセンティブの話題も増えている。先行企業では、売上責任やQuota(売上予算)は持たせないが、契約金額の1%をSPIFFとしてCSMに付与する、という制度にしている例が散見された。
このように、Revenue contribution(売上貢献)やRevenue responsibility(売上責任)というキーワードで語られることもあれば、エクスパンション(契約拡大)やCSQL(カスタマーサクセス・クオリファイド・リード)、マネタイズ、CSMの評価・報奨(インセンティブ)制度設計という形で語られることもありましたが、これらはすべて同じ文脈と考えて良いでしょう。登壇者の多くが、カスタマーサクセスが事業にどのように貢献するのか、という観点で自社の取り組みを語っていたのです。
このような動きは、上記マクロ経済環境を踏まえた動きではありますが、一方で売上貢献組織になっていく動きは、目指すべき姿へ向かうスピードを加速させただけ、とも捉えることができます。下図は昨年のキーノートで紹介された、カスタマーサクセスの成熟度モデルです(詳しくは昨年のレポートをご参照ください)。成熟度モデルの最上位(6段階目)に位置するのが Value Realization(価値の実現)です。エンドユーザーに対してだけでなく、エコノミックバイヤー(購買意思決定権を持つ人)が価値を感じているか。支払った費用に対して適切な成果を得られていると感じてもらうためには、Value Realization を目指す必要がある、というメッセージが昨年のPulseで伝えられていました。顧客が「サービスを利用している」だけでなく、「顧客にとっての価値を実現できている」状態。カスタマーサクセス組織が売上貢献していくためには、まさにこのValue Realizationが実現できていることが求められます。

Value Realizationが達成できている状況とはどういうことなのか、昨年のキーノートで語られたジェフリー・ムーア氏の言葉をあらためて振り返ってみましょう。
経済環境が厳しくなる今後数年でさらに顕著になる傾向は、顧客が「製品が欲しいわけではない。成果が欲しいのだ」と考えるようになったことである。ドリルを買いにきた人が欲しいのは、ドリルではなく「穴」である、というわけだ。
さて、皆さんの企業は成果を提供しているだろうか。仮に提供しているとして、だれが成果に対して対価を払っているのだろうか?たいていの場合、それはエンドユーザーではない。上位階層の購入権限者である。エンドユーザーへのハイタッチ活動をベースに生まれてきたカスタマーサクセスだが、その役割・組織にいま求められていることは、顧客の成果を実現することにまで拡大しつつある。私たちの顧客は、ビジネス上の成果を得ているだろうか。それによって、私たちの製品やサービスに継続的に投資してもらえる状況をつくり出しているだろうか。

皆さんの顧客は、ビジネス上の成果を得ているでしょうか?
サービスを利用している、スムーズに活用できている。それだけでは不十分なのです。いまやSaaS(やITツール)の契約更新には、顧客のCFOが深く関与してくるようになりました。CFOが見ているのは損益計算書を構成する要素がどう変わったのかです。つまり、それ(そのSaaS)は売上アップに貢献しているのか?コスト削減に貢献しているのか?しているとしたら、何のコストがどれくらい減ったのか?もしも、そういった財務数値に現れていないとしたら、どのような形で成果が出ているのか?
カスタマーサクセスが担うべき役割は、このような顧客企業のCFOからの質問に答えることです。Gainsight社のCFOが当事者の立場から、投資判断するときにどのようなポイントを見ているか解説してくれました。
「CFOなので、もちろん財務的な指標は見るが、それだけではなく、オペレーション指標も見ている。財務指標にはまだ反映されていないが、オペレーション指標が改善傾向にあるのならポジティブに捉える」
「数値化できないことがあることも理解している。そういうときは、顧客の成功ストーリーを教えてほしい。それは(CFOが株主や市場に説明するときの)重要な補足材料になるから」
顧客がビジネス成果を出すことを支援する。しかも、特定の大口顧客だけでなく、幅広い顧客に対して、そのような支援を提供しなければなりません。こういった状況だからこそ、デジタルカスタマーサクセス(デジタルCS)が必須となっているのです。昨年からすでに同様のメッセージが伝えられていましたが、日本の皆さんにあらためて強調したいのは、以下の2点です。
- デジタル活用は、ロングテール顧客(中小規模顧客)向けではない。すべての顧客に対して適用すべき。
- デジタルを活用するからこそ、ヒューマン・ファーストになれる(人を大事にできる)
また余談ではありますが、テックタッチという言葉は本当にまったく聞かなくなりました。デジタルCSについては、後編で深掘りしたいと思います。
試してみることで経験値を上げる
最後に、Pulseを通じて伝わってきたアメリカのカスタマーサクセスの最新事情を振り返るとともに、日本のカスタマーサクセス関係者の皆さんにとって、どのような意味があるかを考えてみたいと思います。
ほんの数年前までは、解約防止・解約率低下やOn-boardingの重要性、カスタマーサクセスのKPIや組織体制、CS Opsなどが話題の中心でした。それが、今や売上貢献やマネタイズ、CS担当者への売上インセンティブといった話をするようになっています。また、登場人物も営業部門との連携といった話にとどまらず、自社のCEOやCFO、顧客企業のCFOにまで広がっています。カスタマーサクセス組織に求められることが、マクロ環境によってわずか1年足らずの間に大きく変わり、実際にそれに対応している企業が数多くいるのは、さすがの動きの早さだと感じます。
ここであらためて、日本の皆さんと考えてみたいことがあります。それは、なぜアメリカの企業はこれほど先に進んでいるように見えるのでしょうか?
アメリカのカスタマーサクセス関係者が、日本人よりも優秀だったり、賢かったりするからでしょうか?
私は決してそうは思いません。その証拠に、昨年も今年も登壇者に対する会場参加者からの質問は、非常に親近感が湧く内容ばかりで、日本のカスタマーサクセス関係者の皆さんから聞くものと大きな差はありません。そして実は登壇者の話をよくよく聞いてみると「2年前にこの取り組みをはじめて、試行錯誤しつつ、ここまで来た」というニュアンスで話している人が多いのです。彼らもいきなり先に進んだわけではありません。方向性を決めて、試してきた結果がいま表れているだけです。そこで「強いな」と感じるのは、試しながら経験値を積み重ね、2年ほどでそれなりの型をつくり上げているところです。そこには実行力の強さを感じます。
カスタマーサクセスが社内で強いポジションになかったり、潤沢なリソース(人や予算)を割り当てられていなかったり、CEOやCFOの理解が得られなかったりするのは、アメリカでも同様です。登壇企業の皆さんも、そのような苦労に直面しつつ、戦略を立て、経営陣に説明し、予算を確保し、少しずつ歩を進めているのです。試すことで経験を積み、学びを得て、そこからまた次の試行を進める。そうやって進めた結果が、今回のPulseで発表されていました。決して彼らが飛び抜けて優秀だったり賢かったり恵まれた環境にいるわけではないのです。彼らにできて皆さんにできない理由はないと思うのです。もし今、思うようにいっていなかったとしても、ぜひ皆さんにも、まず試してみてほしいと思います。試すことで学びを得て、経験値が上がれば、次の段階へ進みやすくなります。Pulseの各セッションから学ぶべきは、彼らのプラクティスや型ではなく、この「まず試してみる姿勢」ではないかと感じました。
前編となる本稿では、現在の市場環境を踏まえたカスタマーサクセスに求められること、そして昨年からの継続的なメッセージであるValue Realizationの現状についてお伝えしました。後編では、デジタルカスタマーサクセスや、生成AI(Generative AI)がカスタマーサクセスでどのように利用されるのか、Gainsight社の発表を交えてお伝えします。